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開発の経緯

↑元気な人が座っているのではありません。風呂で脳内出血で倒れて、左半身が完全に脱力。
発泡スチロールの支えを外せばすぐにパッタンころりんの状態でした。
この支えを作る前は、座ると言えば右上のリフトを使って車椅子でした。

「必要は発明の母」と言いますが、母を座らせる必要から自作しました。
作ってみると発泡スチロールにこんな使い方がある、座ってスイッチが入ったように生き生きとする母を見て、介護に使える、ヨコにしておくか、ナナメにするくらいの介護、車椅子は座る道具にあらず・・・、おい、今までは何だったんだ、などと思いました。
「発明」というよりもこういったことを「発見」した次第です。

1996年3月に72歳で右脳で脳内出血し、左半身麻痺が残りました。
左半身が完全に脱力し、自力では寝返りも打てない、座ることも出来ないフラフラなお人形さん状態となりました(体幹機能障害1級)。
2000年、介護保険制度が始まり、要介護5となりました。

ギャッチアップで体を起こしても斜めに傾きやすく困っていたころ、脳外科の主治医から、「ベッドでいいから座らせて上げてください。」と言われました。
さて、どうすれば良いかと悩みました。
ベッドを背上げして、足元も上げ、V字にした空間に横座りに座らせても、左右に隙間があって支えられず、その隙間を埋めるスペーサー的な支えを作るべきか・・・?などと考えていたところ、V字にせずベッドをフラットにして支えを発泡スチロールで作ることを思いつきました。電池式の発泡スチロールカッターを買い、50mm厚発泡スチロールをホームセンターで買って作ってみました。

主治医に回答として右の画像をお見せしました。「いいですね。これからはこういうものが必要な人が増えるでしょう。」と言っていただきました。2003年のことでした。
家では、「発泡スチロールで座ろう」、と言って、一日何回も座ってもらいました。
ヘルパーさんが来て、おむつチェックの後、ヘルパーさんに座らせてもらって昼食。
食後しばらくして歯磨き、外して寝かせてもらって再びおむつをチェックしてもらってヘルパーさんは帰られる、という日常でした。
2018年に座る回数を数えてみたら、一日7回でした。7回目は夜の足湯でした。
シャントチューブが入っているので寝るときは少しだけ背上げしていたくらいで、ベッドは、もっぱらフラットでした。ギャッチアップで介護という景色は2003年以降なくなりました。頻繁に座らせるせいか床ずれの出来る暇もありませんでした。
夜中に奇声ーっ、も治まりました。

自家用1号機です。自作できる素材でと考えましたが、木工が得意ではなく、たとえ木で作っても重くなって、作っただけで終わっていたでしょう。
素人ですのでアルミニウムというわけにもいかず、発泡スチロールになりました。
でも、それで良かったと思います。
軽いので座らせるのが苦になりません。頻繁に座らせることはおそらく超軽量素材である発泡スチロールにしかできないことでしょう。

前側にマジックテープが付いたのは2世代目、綿カバーが付いたのは4世代目でした。
全介護期間は23年ですが、2003年から2019年に亡くなるまでの16年間、少しづつ改良を加えながら使い続けました。

頻繁に座らせることで、母は、TVも、人の顔も、家中がタテに見え、食べても飲んでものど越し良く、歩けないものの、ギャッチアップ&車椅子に比べれば、元気だったころに幾分か近い生活を送ってもらえたと思います。それらは軽量な道具で可能になりました。

世の中は、色々な道具が現れ、便利の良い方向に進んで来ました。
今後もそうでしょう。皆様方は、大切なご家族の介護と取り組まれ、良い道具はないものかと探すこともおありでしょう。
ギャッチアップは、100年位前からありますが介護の唯一の答えではありません。
もっと前からある車椅子は本来、移動の道具です。ケアする人が倒れるわけにはいきません。負担も考え、良い道具をお選びください。
実際の介護から生まれた道具:端座位ヘルパーを大事なご家族を守る道具としてご検討いただければ幸いです。

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